キミの匂いがする風は 緑 〜枝番?


  “アダムのりんご”
 


    4



何の予兆もないままに、
イエスが突然 女体化したという尋常ならざる事態のさなか。
それもまた唐突に掛かって来た電話がこれありて。

 【 ………あ、先生ですか? サーセン、こんな朝早くに。】

相手は、現在 天界に住まう聖人の一人、
イエスの弟子、第一使徒のペトロからのものであり。
遠慮がちなのは こんな早朝という時間帯だったからか、
いやいや そんなことへ頓着するような性格ではなかったような、と。
もしかすると失礼千万、
でもでも そういえばとの納得も多数から誘うだろう、
そういう微妙な性分のお人からのお電話に。
何と言っても場合が場合だ、
イエスもブッダも息を詰めての逼迫抱え、
相手の出方を探るように恐る恐るで応対しておれば、

 【 先生、何か、その、
   体調とかに 何かお変わりはありませんか?】

柄にないだろう及び腰ながら、
選りにも選って いきなり核心をつく言を吐き、
最聖二人、焦燥にてあっさりと躍り上がらせた恐ろしさよ。
何の話かと白を切っても、

 【 その、早起きさせたんで、
   気がついてないかも知れなくて、その。】

歯切れが悪い割に、何でか妙に食い下がってくる彼で。
突拍子もないことを訊いたその上、一体 何がどう気になっているのだろうかと。
逆に探られているようで イエスが今しもムキになりかったところ、

 「ペトロさん もしかして、
  イエスへ何か仕掛けたりしていませんか?」

あくまでも鷹揚な姿勢は崩さないままながら、
あふれる威容も頼もしく、
そんな意外なことを言い出したのが、
ほんの直前まで イエスと共に狼狽していたはずのブッダであり。

 【 ブ、ブッダ様、お気づきになられておいでで。】

よほどに鋭く図星を突かれたか、
ペトロを挙動不審にさせたその上で、

 「きっと込み入った話なのでしょうに、
  電話越しというのも何ですから。
  御足労ですがこちらへお越しいただけますか?」

表向きはそれはなめらかな声でのお言いよう、
だがだが、有無をも言わさぬ威容の籠もったお声は、
脳天気な第一使徒を あっと言う間に平伏させたのであった。




イエスが帰還しやすいようにとの配慮から、
立川直通のヤコブのはしごが出来たという話を いつぞや聞いたが、
それでもそこへの連絡という格好の早朝便は少なかったものか。
聖家のチャイムが怖ず怖ずと鳴ったのは、7時を回ってからのこと。
用心のため…という配慮さえ感じさせないフットワークのよさで、
素早く立ち上がったブッダがドアを開きに向かい、
浮かない顔をした長身の君をそこに確かめると、
どうぞという所作のみという言葉少なに、上がるようにと促して。
何と言ってもそれは狭いフラットゆえ、
玄関から奥の六畳間まで、勝手が判る者ならあっと言う間に見通せて。
それゆえにと、窓から離れた押し入れ前へ座らせておいたイエスだったが、

 「…ペトロ?」

まだ詳細までは判らないというブッダから、実質 何も聞いていないせいもあり。
これでもじりじりして待っていた反動で、
気が逸っているまま立って来たイエスの姿が見えた途端、

 「あ…。」

あまりの変わりように、
まずはそれが誰なのかを認識出来なかったようだが。
何で此処へ来たのかという現状を考慮した上で、
途轍もない事態だという現実認識がすぐさま襲い来たのだろう。

 「あ、あああっっ!」

日頃それは細く薄く伏せがちになっている眸を
これでもかと押し開いて驚愕したらしき彼は、

 「そ、そんなっ、せんせえっっ。」

何がしかの予測くらいはあったのだろうに、
この驚きようは半端ではなくて。

 “…女の子になった私って、そんなに不細工なのかなぁ。”

そちらはそちらで、何とも見当違いなことを思いつつ、
イエスが ついつい自分の身を見下ろしたのと重なって。
足元近くへ どたんという重々しい音が叩きつけられ、
それと同時に大きな振動が起きた。

 「ひあ…?」

何だなんだと顔を上げれば、

 「サーセンっしたっ!」

声はすれども 姿は…何処へ行ったやら、
それはそれは背の高いペトロが、一瞬で視野から消え失せており。
いやいや、今の声は足元からしたなと見下ろした先、
いくら何でもパジャマのままはよろしくなかろと、
イージーパンツから履き替えたトレパンの足元に。
短めに刈った茶褐色のクセっ毛が奔放に跳ね回っておいでの
イエスにも重々見慣れた頭が、
大きくて広い背中の先で平伏して、
サーセンしたサーセンしたという謝罪の言葉を、
新しい宗教の咒詞のように繰り返し紡いでおいで。

 「や、あの、ペトロ?」

五体投地はウチの礼拝方法じゃないでしょうにと、
多少はシリアスな心境で待ち構えていたはずのイエスが、
驚きの余り、微妙なことを口走ってしまったほどであり。

 「ペトロさん、とりあえず顔を上げてください。」

施錠してから戻って来たブッダも、
これにはさすがに驚いたか、
とりなすように背中へ手を置く。
とはいえ、

 「あああ、マリア様に似ておられる。」

言われた通りに顔を上げた彼が、
ついのことだろ、
感極まったそのまま 正面に居たイエスへ向けて手を延べたのへは、

 「まあまあ 落ち着いて。」

素早く前へと回り込み、
イエスの より細くなった胴回りに腕を差し入れ、ひょいと抱えて遠ざけて。

 「驚きながらも謝られるということは、
  やっぱりあなたが この一件に関わっているのですね。」

語調は穏やかだが、大した無理もしてはないのだろうが。
成人女性を つま先も浮いたままの肩近くまで、
その肩へも凭れさせずの 両手だけで抱え上げ、
そのまま微動だにしないのは ちょっと物凄いプレゼンテーション。

 「…ブッダ、これでは真面目な話がしずらい。」
 「あ、ごめん。」

特に威嚇したわけじゃあないのだろうが、
のっけにこうまでの怪腕ぶりを見せられては、声もなくなるのは当然かも。

 「……。」

呆然としてか突っ立っていた弟子へ向け、
やっと降ろしてもらったイエスが、今度は彼から手を延べて。
彼が着ていた袖長のシャツを つんつんと摘まんで引いて、
お〜いと正気に戻させて、さて。

 「お逢いするのもお久し振りのあなたが、
  何をどうやったら、
  イエスをこのような姿へ転変させられたのでしょうか。」

仏門が誇る知慧の宝珠、
釈迦牟尼こと ブッダの問いかけには無駄がなく。
最初から詰ろうと構えたわけでもないものか、
卓袱台を囲む格好の各々へ、
彼自身がそれは丁寧に淹れた煎茶を出してから始まった対峙は、
そんなお言いようで始まったのだが、

 「…これっス。」

言い逃れるつもりなぞ毛頭なかったのだろう、
大きな体躯を窮屈そうに折り、
小さな和製テーブルの向こうに四角く座った第一使徒さんは、
そのテーブルの上へ、これまた小さな紙片を置くと
指先だけで ついとこちらへ押しやって見せ。
和紙なのだろうか、
表面に繊維の粗さが味わいとなって見えているその紙切れは、
表へ梵字が小さく書かれた、どうやら何かの弊でもあるらしかったが、

 「……あ。」

ブッダへと差し出されたそれ、横合いから首を伸ばして見やったイエスが、
あっと気がついて玻璃の眸を見張ったほどに、実は彼らにはお馴染みな代物で。

 「これって“代替の札”じゃないか。」

初出は確か『妙なる囁きに 耳を澄ませば』の
“聞きなれた声”じゃあなかったか。(おいおい)
人の世界の“茶断ち”や“塩断ち”のようなもの、
何かを封じて、その不自由さを一定期間 我慢することで、
代償として ひょいとは叶わぬことを叶えてもらうおまじない。
仏界産のお土産物で、天国の門の前の土産物屋に置かれているとか。
イエスも以前に罰ゲームで声を封じられて往生したことがあったため、
一見しただけでどういうものかもあっさり知れたが、

 「…え? まさか、これを使って?」

紛れもない仏界産の正規の商品であり、
効果の根源となるよう、仏門関係者の咒力が吹き込まれてもいるものの。
あくまでも ただの土産物であり、
どんなに大変な我慢を代替させたとしても、
せいぜい運気が上がるとか、風向きがよくなるとか、
そんな程度の効果しか出はしないはず。
巡り合わせが良かったならば、いいことが降ってくるよという、
まさに“おまじない”ものに過ぎなくて、
どちらかといえば、封印の作用がしっかり効くところを重宝がられ、
お仕置きや罰ゲームに引っ張りだこなのが現状と聞いている。

  だというのに、

 「…っ、サーセンしたっ!」

申し訳ありませんと、またもや勢いよく頭を下げるペトロであり。
そこのところはどうやら真実本当らしいが、

 「ちょっと待ってよ、じゃあ何?
  私、これのご褒美レベルで女の人にされちゃったの?」

そんなお手軽なことなの? これってと
イエスが細い眉を寄せ、お怒りの形相で憤慨して見せる。
今朝からこっちの愁嘆場、
もしも原因が判らなかったら、
最悪 ブッダとお別れってことにもなりかねぬと、
お胸がぎゅうぎゅうと締めつけられぱなしだった、
あの深刻な葛藤は何だったの、と。
こんな子供だましな代物が原因だなんて冗談じゃない、
良いようにもてあそばれたような、
いわんや、
自身の尊厳を軽んじられたような気がするのも無理はなかったし、

 「面目次第もありません。」

下がったままの頭をなお下げるペトロも、
もしかして こうまでの結果になろうとは
想いも拠らなかったのかも知れない。
そういう意味では 不可解な現象には違いなく、
判らないことが依然として挟まったままの、
曖昧模糊とした状況に変わりはないのかと。
誰へこの拳は降ろせば良いのだという憤懣に、
唇を咬みしめたイエスが ううと唸っておれば。

 「イエスは何でも受け入れる存在だから それで、
  そんな無茶ぶりも受け入れてしまったんでしょうね。」

天乃国の最聖師弟が、
何とも珍妙な事情からの困惑と憤怒を突き付け合っていたのへと、
ブッダが降らせた一言は、ますますと珍妙な言いようで。

 「…え?」

恐らくも もしかしてもくっつかない、
多分に断定的な言い方でそんな見解を口にしたのが、
他でもない…何があっても自分の味方なはずのブッダだったので。
イエスの困惑はますますと深まりかかったか、
すぐお隣に座してた彼を見やったそのまま、
お顔も総身も固まってしまったものの、

 「だから。
  この札の効能となる咒力は さほど強いものじゃあないが、
  さりとて、全然の全く籠もってない訳でもない。」

小さい付箋ほどの和紙を指先に摘まみつつ、
それじゃあ詐欺になってしまうからねと。
自分が籍を置く仏界産の代物へ
どこまで信奉しているものかという調子で言ってのけ、

 「とっても頑張って何かを耐えた人が、
  それと引き換えにしたくて願った望みが
  誰かの気持ちを振り向かせることだったとしようよ。」

満願成就出来るほど頑張りましたと札が飛んで、
その想いを芯にして、望みは相手の気持ちへ語りかけはするんだけれど。
くすぐられたお相手にも意志はあるから、
あらあんな人がいたのねと注意を向けるくらいはするかもしれない、
ちょっといい男だなぁと気持ちを向けるかもしれないけれど、
そこから先はその人の意志が決めること。

 「こんな小さくて、
  不特定多数の人へどうぞって振る舞われてるような、
  所詮はただの土産物だもの、
  人の意志や意識を、
  無理から縛ったりまでは出来やしないはずなんだけど。」

大それたものではないことを改めて強調したブッダは、その上で、
こちらを唖然としたお顔で見やったままでいる、愛しい人と向かい合う。

 「…ただ。キミは特別な仕様の人でしょう?」

言い回しが端的すぎて、やっぱり理解に及ばぬか、

 「え?」

キョトンとするばかりのイエスへ、
目許をたわめ、それは柔らかく微笑って見せてから。
聞こえてはいるのだろうに、
依然として頭を上げない長身の君へも視線をやって、
ブッダは深々とした吐息をつくと、

 「キミはアガペーの申し子だから、
  喩え 罪を犯した人であれ、悔い改めれば許してしまう。
  父上は煉獄経由という罰を与えるのに、それさえしないで、
  それどころか人々の原罪を肩代わりまでして。」

丸みを帯びたお膝の上へ乗った小さな手には、
消えはしなかった聖痕が、対比を大きくしてしまっていて痛々しい。
傲慢で強欲で、保身のためなら人を陥れもし、
弱さを楯に 見ぬふりもし嘘もつく。
そんな人間をそれでも愛しいとし、
普遍の愛を捧げ、罪を代わりに負って 十字架に架けられた慈愛の人。

 「そんなキミなものだから、
  代替の札の効果という格好の、
  ご褒美にイエス様に聞いてほしいこと、も、
  それはあっさりと受け入れてしまったんだと思う。」

 「え? え?」

だってそんなと、大きくうろたえ、

 「だってだって、
  暗示にせよ魔法みたいな咒力にせよ、
  何も夢とか見てないし語りかけられた覚えもないけど。」

ただただ当惑するイエスなのも無理はないと思いつつ、

 「でも現に。」

くっきりとした声で短く言い切れば、

 「……。」

ずっと頭を下げたままだった彼の人が、
ここでやっと、静かにその頭を上げて、

 「私が望んだのは、
  イエス様がか弱き女性に転変することっス。」

そんなとんでもないことを言い出したものだから。

 「な…。////////」

ブッダが紡いだ推量は、その通りですと立証されたことになったが、
それにしてもと、イエスの心持ちは複雑に絡まるばかりで。

 「なんでまたそんな。
  私が女の子になったらそんなに面白いの?/////////」

そりゃまあ、
実際の話 それほどかわいい子になったわけでもなし。
日頃偉そうにして教えを説いている者が、
こんなふざけた姿になっちゃったんだぜなんて、
話の種くらいにはなるかもしれないけれど、と。
ただの悪ふざけ、しかも師匠を相手に程があるとばかりに、
恥ずかしいのだか怒っているのだか、比重としても難しい案配で
とりあえずは非難しておいでのイエスなのへ、

 「仲間内で ひょんなことから
  “この札が何処までの威力を発揮出来るか”と話題になったんス。」

一応はそれなりの剣幕で怒っておいでだというに、
それへも動じぬまま、ペトロがそんな風に語り始めて。

 「単なるまじない程度とは判っておりましたが、
  ある者は苦手だった犬が怖くなくなったというし、
  またある者は、ずっと不仲だった人と仲直りが出来たともいう。」

さすがは善なる魂の集う天乃国らしい、
それは微笑ましい報告が聞かれて、
善哉善哉と 穏やかに取り沙汰しておりましたものが、

 「及び腰だった気持ちへ勇気を授けてくれるよう、
  相手からも少なからず険悪さを剥ぐ効果が出るのかなとか、
  畏れ多い方からの関心も呼ぶことが出来るものだろうかと、
  そんな大それた望みの声も聞かれるようになったので。」

大きくて骨太な頼もしい手で自分の膝頭を掴みしめ、
そのままするりと彼が紡いだは、

 「だったら私が、
  この美声を封じることと引き換えに、
  他でもない、イエス様を相手に願をかけてみようぞと。」

 「ぺとろ〜〜〜

すっくと立ち上がり、叩いてやろうかと小さな拳を振り上げて、
このイエスが 祈りの家で商人たちへ憤慨して以来ではないかというほど、
そっち方向へいきり立ったほどの怒かりようを見せたのへ。
それへはさすがに まあまあと、ブッダも諌めにと立ち上がり、
小さな背中から腕を回して、軽い羽交い締めにし抱きとめれば、

 「…せめて自覚させてくれてから発動して欲しかったなぁ。」

 「いやいやいや、
  どっちにしたって発動させちゃあいかんでしょ。」

しょんもりと項垂れるイエスの呟きへ、
おいおいと 合いの手を入れるのもまたお約束。

 「ともかく、ペトロさんは、
  お願いが成就はしなかった…と言うと嘘になるのでしょうから、
  そうですね、誰かに聞かれたら、
  イエスが酷い目にあってたと伝えてくださいな。」

冗談抜きに本当なんですしと、
ぎろりという鋭い眼差しつきで言い聞かせれば、

 「はいっ、仰せのとおりに…。」

日頃の あの楽観的で図太いまでの陽気さはどこへやら。
本来なら“あんた門外漢だろうよ”と、
それもまた言えた立場じゃないながら、
逆にキレてもいいような微妙さだというのに、
ブッダの鷹揚な態度や言い分にあっさり圧倒されている。
仏門開祖の威容とそれから、
秘しているつもりでも秘し切れていないお怒りが恐ろしかったか。
それとも、

 “……ほんと、先生 サーセンでした。”

さすがにこの現状が心細かったものか、
ブッダの隣という位置から 終始離れなかったイエスなのが見て取れて。
微笑ましいような、でもでもかすかに寂しいような。
そんな心持ちになってしまったペトロさんだったのかも知れません。








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  *お懐かしやのツールが再登場でございます。
   いや、でも、大したご褒美効果はないよと
   ブッダ様も言ってたような代物なのですが、
   そこは博愛主義のイエス様ゆえ、
   お願いイエス様という念をキャッチしたそのまま、
   その身が“判った任しとき”と、
   本人への断りもなく聞いちゃったというか。

   ……もちょっと続きます。


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